「幸せになる」ことは諦めた

物心ついてから社会人なりたてのときくらいまで「幸せになりたいなー」と、頭の中でずっと口癖のように唱えていた気がする。真反対の状態だから求めていたときもあれば、ちょっと嫌なことがあったときに情景反射かのように唱えていたときもある。

人生の目的は幸せになることで、それが誰もにとっての正解で、すべての感情の頂点だと思っていた。

幸せになるためにこの世界に生まれてきたのだと信じて疑わなかったし、今はいつかなれる幸せに向かう道の途中なのだから(いろいろと)仕方がないのだ、と思っていた。

でも、いつまで経っても、幸せになれる気配が一向にない。

ていうか、幸せってそもそも何?

生まれてからずっと他人と比較されつづけ、競争社会の荒波に立たされ、気づいたらいろんなことが相対的な視点なしには見れない環境で、幸せになるにはまず幸せが何なのかを知らないといけなかった。

幸せじゃなかった私は、幸せになりたくて必死に考えた。

あるときピンと来たわけでもないけれど、なんとなく今のところ辿り着いた、私にとっての解がある。

幸せとは瞬間であって、幸せという状態にはなれない。

今まで、幸せを感じることはあっても、幸せが持続することはなかった気がする。

一見、誰かにとっては、すべてのことに恵まれていて幸せに見える人であっても、常に幸せを感じられている人はもしかしたら少ないのかもしれない。

そう考えたら、無理に幸せという状態を追い求めなくていい気がした。

でもさ、なんていうか、幸せってめちゃくちゃ高尚な言葉に見えちゃうんだよね。

一発大逆転が狙えるくらい、インパクトが大きい魔法のような。だからみんな漠然と幸せになりたがっているような気がする。

元も子もないかもしれないけれど、今あるものに気づいたら、私けっこう幸せに生きられているんだよな。人が羨ましがるものは何も持っていないけれど。

不幸にしているのも、幸せにならないようにしているのも、結局自分自身。

なんかもう、ちゃんと今日という日が来て、眠りから目が覚められているだけで、一瞬の幸せを感じるには十分だ。

そういう瞬間になるべく多く気付いていくことで、また違う境地に行ける気もする。